2010年2月17日
近代サーカスの歴史
近代サーカスはイギリス人退役軍人のフィリップ・アストリーによって確立され、ヨーロッパからロシア・アメリカへと広がったとされる。しかしアストリー自身は「サーカス」という用語を使っていない。従来より見世物として確立していた動物芸、人間の曲芸に加え、アストリーは道化芸という概念を新たに取り入れている。道化芸は19世紀初頭に活躍したパントマイム役者ジョセフ・グリマルディ、ジーン・オリオールらによって現在の喜劇中のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取るというスタイルが確立され、真っ白に塗った顔にだぶついた服装というお決まりの姿で、近代サーカスでは欠かせない要素のひとつとなった。
日本での歴史
日本にはじめてサーカスが訪れたのは1864年で、「アメリカ・リズリー・サーカス」により横浜で興行がなされた。それまで日本でも見世物は存在したが、それぞれ芸種別に一座を組んで個々に興行を行うというスタイルが一般的で様々な演目を一度に見せるというサーカスは大きな反響を呼んだ。1883年には、イタリアのチャリネ一座が来日する。この公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を上演している。日本人のサーカスとしては、チャリネ一座から名前をとり、1899年に山本政七らによって設立された「日本チャリネ一座」が最初であるとされる。日本チャリネ一座では馬や象、熊なども用いて曲芸や猛獣芸などを披露した。その後、大正末から昭和にかけて有田サーカス・木下大サーカス・シバタサーカスなどが続々と創立し、人気を博した。ただし、各団体が「サーカス」の呼称で名乗るようになるのは、1913年のハーゲンベック・サーカスの来日以後のことである。
1930年代から1960年代までは20~30団体があったがその後激減し、1995年には国際サーカス、1996年には矢野サーカスが活動を休止。木下大サーカス、キグレサーカス、カキヌマ大サーカスの3団体を残すのみとなったが、同年12月にポップサーカスが旗揚げし、現在はキグレNewサーカス・木下大サーカス・ポップサーカスが日本三大サーカスとされている。カキヌマ大サーカスは拠点を海外に移したと言われているが、2002年頃までは国内での活動が確認されている。
1992年テレビ局のタイアップでシルク・ドゥ・ソレイユが来日。再びサーカスブームが訪れる。 その効果からテレビアニメカレイドスターやテレビCM鉄骨飲料などサーカスを取り上げたものが多くテレビで放送された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
今一番シルク・ドゥ・ソレイユが見たいですね。
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